重要文化財と社宝

宝物殿は社務所の2階にございます。日曜と祝日の11:00から15:00まで無料でご参観いただけます。

木造獅子狛犬
(国指定重要文化財)

谷保天満宮には、当初本殿に安置され、現在宝物館に移されている阿形と吽形一対の木造獅子狛犬があります。阿形は像高53.5センチメートル、無角開口で体部が金色の獅子で、吽形は像高53.0センチメートル、有角(亡失)閉口で体部が銀色の狛犬です。両像はともにヒノキ材と思われる針葉樹材の寄木造で、頭体幹部を地付まで前後四材に、さらにそれぞれを左右に矧ぎ、面部は内刳のうえ割矧ぎ、玉眼を嵌入しています。たてがみはやや装飾性の加わった表現がみられます。
両像ともお互いに拝者側(内側)に体をやや捻って頭部を向け、内側の前肢を手前に引き、もう一方の前肢を前方に踏み出し、拝者側に顔を向ける姿勢をとり、 動きのある動物らしい現実感ある写実表現のなかにも穏やかな作風を示し、獅子狛犬の伝統的な技法をみせる鎌倉時代を代表する作例として貴重なものです。


木造扁額 額文「天満宮」
(国指定重要文化財)

縦68.2センチメートル、横50.0センチメートル、檜材で、長方形の額の四辺は、曲線にえぐり込み、猪目透かしを施し、額は四材を 矧ぎ合わせ、全体に布着せをした上に、黒漆が塗られています。額面には周囲を三重の條線で囲い、縦に「天満宮」と草書体で揮亳した文字が彫り込まれています。 額板の裏には、「建治元年乙亥六月廿六日乙丑書之」、「正三位藤原朝臣経朝」の刻銘があり、建治元年(1275)藤原経朝の筆によることがわかります。
経朝は、世尊寺流書道を中興したいわゆる平安の三跡の一人藤原行成の9代目に当たります。世尊寺流は行成から17代行季まで、代々宮廷の書き役を司り、行成の書風は1世紀半以上にわたり当時の書壇の中心となしてきました。第8代の行能が家名にしたことから世尊寺流と呼ばれてきましたが、その書は柔和で端正な書体、豊満な筆線、粘りのある線質を特徴としています。
第9代経朝の筆は、伊奈冨神社(三重県鈴鹿市)の扁額(重要文化財)にも見られ、願文の清書などでもその名が知られる名高い能書家でした。
谷保の「天満宮」の扁額は『江戸名所図会』によれば、後宇多天皇の奉献とされています。

表面

裏面

裏面(拡大)


水戸光圀公 扁額(社宝)

谷保天満宮には、元禄三年(1690)に水戸徳川家より奉納された「天満宮」の扁額が伝わっています。
この扁額は、当時の水戸家当主である水戸宰相公(徳川光圀公)をはじめ、若君である少将公・菊千代公の武運長久と繁栄を祈念して奉納されたものです。

扁額の裏面には、次のような趣旨の奉納文が記されています。
裏面刻「謹為 水戸宰相公 少将公 菊千代公 御祈祷寄進之伏冀 三公武運長久萬福無彊 元禄三庚午年六月戊辰九日」

水戸徳川家は、江戸時代を通じて学問・文化の振興に力を注いだ名門であり、
谷保天満宮とも深い信仰的つながりを持っていました。
この扁額は、当時の祈りや願いが今に伝わる、貴重な歴史資料です。

表面

裏面


谷保天満宮 社叢
(東京都天然記念物)

谷保天満宮の社叢は東京都指定の天然記念物に指定されております。社叢とは、いわゆる鎮守の森のことで、参拝者はその鎮守の森の厳かな雰囲気の中、静かな心持ちで参道を進みます。17世紀ころまでの甲州街道では谷保地区周辺は立川段丘の下を通っていました。そのため社殿は街道に面し、南向きに建てられています。
甲州街道が段丘上を通るようになると、人の流れも変わり、参道は谷保駅や甲州街道側からこの鎮守の森を抜けて、社殿へ向かうようになりました。
かつては杉を主体とするうっそうとした森が谷保天満宮を取り囲んで広がっていましたが、現在はケヤキ、ムクノキ、エノキなどが優占する林となっていますが、河岸段丘の豊富な湧水が流れ、社に風格を添えています。


本殿・拝殿
(市指定重要文化財)

谷保天満宮オフィシャルInstagram